少し前に名古屋城へ行ってきました。
木造復元工事や本丸御殿復元、金シャチ横丁の建設など話題が尽きない名古屋城ですが、名古屋城の天守閣には展望室や展示室などが入っており、7階の展望室からは東西南北各方向の景色を楽しめます。
名古屋城から見た名古屋駅方面の様子です。
城から見た景色がきらびやかな超高層ビル群とは、歴代城主の尾張徳川家も驚愕してしまうほど名古屋は発展したと思います。
足下の紅葉や和風建築も美しく、和の趣も感じられます。
2027年、10年後のリニア開通時には新たな超高層ビルも増えていることでしょうから、更に華やかな街並みになっていると思います。

春日井市、中部大学方面の景色です。
春日井市も北東側は丘陵地帯や山岳地帯となっており、高蔵寺ニュータウンはかなり景色の良いニュータウンとなっています。
ちなみに高蔵寺ニュータウンは全体で702ha、計画人口8万1,000人、現在の人口約4万8,000人で、計画人口よりも実際の人口がかなり少なくなっています。
理由は移転予定で計画されていた航空自衛隊高蔵寺分屯基地が移転候補地で反対運動に合い、計画が頓挫したために自衛隊基地が残り、実際の人口は少なくなってしまったということです。

御嶽山と小牧市の桃花台ニュータウンです。
築城時も御嶽山は見えたと思いますが、かなり展望が良い場所に築城したものですね。
小牧市の桃花台ニュータウンも春日井市の高蔵寺ニュータウンも数万単位の人口を有していますが、鉄道が通っていないため大変不便な立地です。
元々ピーチライナーという新交通システムがありましたが、小牧で乗り換える小牧線が当時は平安通まで繋がっていなかったために殆ど使われず廃止されてしまいました。
なぜ両ニュータウンを整備するときに小牧線を都心の栄方面へ延伸、双方のニュータウンに鉄道の支線という扱いで伸ばさなかったのかと思ってしまいます。

ナゴヤドームです。
中日ドラゴンズの本拠地となっています。

岐阜方面です。
岐阜駅前に建つ岐阜シティタワー43や岐阜スカイウイング37も確認できます。
手前のマンション塔屋に隠れてしまって見えにくいですが、岐阜イーストライジング24の建設用タワークレーンも見えました。

岩倉方面です。
右側に建つ白色の高層マンションは「エムズシティ岩倉ステーションタワー」で17階建て、高さ60m、総戸数98戸のタワー型マンションで、名鉄犬山線岩倉駅前に建っています。

と、城から見た景色はここまでで次回第3回に続きを載せます。
少し前に名古屋城の外堀の中を走っていた幻の電車として、ブラタモリに出ていた名古屋城の外堀をついでに見てきました。
ここには昔、瀬戸電(※現在の名鉄瀬戸線の古い愛称であり、名鉄併合前の路線名)が走っており、瀬戸で作られた陶磁器を堀川のほとりまで電車で運び、船で輸出していたそうです。
写真の場所は大津町駅跡で、愛知県庁や名古屋市役所など周辺は官庁街であったことや市電の停留所があったことなどから、瀬戸電のターミナル駅だったようです。
大津町駅は堀の中に駅舎があり、売店もあったとのことで大曽根駅や瀬戸駅(現:尾張瀬戸)と並んで利用者も多かったようです。

ブラタモリに出てきた直角のカーブです。
今ではこの写真の右下側の地下を通って栄へ直通している名鉄瀬戸線ですが、1976年まではここを通っていたようです。

先ほどの本町駅近く、本町橋の下には煉瓦のトンネルも残っています。
ガントレットといって、狭い場所に分岐器を設けず複線のまま単線の幅に通す工夫がなされていたようです。
それにしてもこの瀬戸電、1905年に開業してから延伸と路線の位置変更を度々繰り返して現在に至っています。
戦前には名古屋では珍しく沿線開発を積極的に行うなど、かなり勢いがあったようです。
YouTubeで昔の動画を探してみると、尾張瀬戸駅前にお迎えのT型フォード?が行き交い、ハットを被って着物を着たお洒落な人々で賑わっています。(2:50から)
今の瀬戸は商店街も主産業の窯業も衰退し、駅前はお店も少なくもの寂しい雰囲気ですが、再開発や建て替えを進めて(その土地の良さや歴史を建築に取り込みながら)当時のような勢いや賑わいを見せて欲しいですね。

整理番号P-0096-02
木造復元工事や本丸御殿復元、金シャチ横丁の建設など話題が尽きない名古屋城ですが、名古屋城の天守閣には展望室や展示室などが入っており、7階の展望室からは東西南北各方向の景色を楽しめます。
名古屋城から見た名古屋駅方面の様子です。
城から見た景色がきらびやかな超高層ビル群とは、歴代城主の尾張徳川家も驚愕してしまうほど名古屋は発展したと思います。
足下の紅葉や和風建築も美しく、和の趣も感じられます。
2027年、10年後のリニア開通時には新たな超高層ビルも増えていることでしょうから、更に華やかな街並みになっていると思います。

春日井市、中部大学方面の景色です。
春日井市も北東側は丘陵地帯や山岳地帯となっており、高蔵寺ニュータウンはかなり景色の良いニュータウンとなっています。
ちなみに高蔵寺ニュータウンは全体で702ha、計画人口8万1,000人、現在の人口約4万8,000人で、計画人口よりも実際の人口がかなり少なくなっています。
理由は移転予定で計画されていた航空自衛隊高蔵寺分屯基地が移転候補地で反対運動に合い、計画が頓挫したために自衛隊基地が残り、実際の人口は少なくなってしまったということです。

御嶽山と小牧市の桃花台ニュータウンです。
築城時も御嶽山は見えたと思いますが、かなり展望が良い場所に築城したものですね。
小牧市の桃花台ニュータウンも春日井市の高蔵寺ニュータウンも数万単位の人口を有していますが、鉄道が通っていないため大変不便な立地です。
元々ピーチライナーという新交通システムがありましたが、小牧で乗り換える小牧線が当時は平安通まで繋がっていなかったために殆ど使われず廃止されてしまいました。
なぜ両ニュータウンを整備するときに小牧線を都心の栄方面へ延伸、双方のニュータウンに鉄道の支線という扱いで伸ばさなかったのかと思ってしまいます。

ナゴヤドームです。
中日ドラゴンズの本拠地となっています。

岐阜方面です。
岐阜駅前に建つ岐阜シティタワー43や岐阜スカイウイング37も確認できます。
手前のマンション塔屋に隠れてしまって見えにくいですが、岐阜イーストライジング24の建設用タワークレーンも見えました。

岩倉方面です。
右側に建つ白色の高層マンションは「エムズシティ岩倉ステーションタワー」で17階建て、高さ60m、総戸数98戸のタワー型マンションで、名鉄犬山線岩倉駅前に建っています。

と、城から見た景色はここまでで次回第3回に続きを載せます。
少し前に名古屋城の外堀の中を走っていた幻の電車として、ブラタモリに出ていた名古屋城の外堀をついでに見てきました。
ここには昔、瀬戸電(※現在の名鉄瀬戸線の古い愛称であり、名鉄併合前の路線名)が走っており、瀬戸で作られた陶磁器を堀川のほとりまで電車で運び、船で輸出していたそうです。
写真の場所は大津町駅跡で、愛知県庁や名古屋市役所など周辺は官庁街であったことや市電の停留所があったことなどから、瀬戸電のターミナル駅だったようです。
大津町駅は堀の中に駅舎があり、売店もあったとのことで大曽根駅や瀬戸駅(現:尾張瀬戸)と並んで利用者も多かったようです。

ブラタモリに出てきた直角のカーブです。
今ではこの写真の右下側の地下を通って栄へ直通している名鉄瀬戸線ですが、1976年まではここを通っていたようです。

先ほどの本町駅近く、本町橋の下には煉瓦のトンネルも残っています。
ガントレットといって、狭い場所に分岐器を設けず複線のまま単線の幅に通す工夫がなされていたようです。
それにしてもこの瀬戸電、1905年に開業してから延伸と路線の位置変更を度々繰り返して現在に至っています。
戦前には名古屋では珍しく沿線開発を積極的に行うなど、かなり勢いがあったようです。
YouTubeで昔の動画を探してみると、尾張瀬戸駅前にお迎えのT型フォード?が行き交い、ハットを被って着物を着たお洒落な人々で賑わっています。(2:50から)
今の瀬戸は商店街も主産業の窯業も衰退し、駅前はお店も少なくもの寂しい雰囲気ですが、再開発や建て替えを進めて(その土地の良さや歴史を建築に取り込みながら)当時のような勢いや賑わいを見せて欲しいですね。

整理番号P-0096-02