2019/03/30
名古屋・栄を代表する老舗百貨店である「丸栄」を再開発する計画が、丸栄の親会社「興和」によって進められています。
2020年をめどに丸栄は新たな商業施設をオープンさせ、興和グループが周辺に持つ他のビル2棟(栄町ビル、ニューサカエビル等)も、2020年までに取り壊す方針とのことで、再開発は2段階で行い、周辺のビル跡地を含む将来の本格開発は、事業費が2,000億円規模の巨大プロジェクトとなります。
今回はそんな丸栄・栄町ビル・ニューサカエビル再開発計画の丸栄部分が解体され始めましたのでそちらをまとめます。
◆参考資料、引用元
朝日新聞 閉店した丸栄、解体始まる 建築学会作品賞の本館
中日経済新聞 丸栄ビル、解体完了が遅延へ
丸栄閉店、20年めど新施設 興和2千億円かけ栄再開発
清水建設 丸栄百貨店
◆過去の記事
→2017年10月10日投稿 丸栄・栄町ビル・ニューサカエビル再開発計画
→2019年3月4日投稿 丸栄・栄町ビル・ニューサカエビル再開発計画 (解体・建て替え前の丸栄の様子)

■概要
・名称 丸栄・栄町ビル・ニューサカエビル再開発計画
・計画名 丸栄・栄町ビル・ニューサカエビル再開発計画
・name Maruei, Sakaemachi Building, New Sakae Building Redevelopment plan
・中文名 丸荣・荣町楼・新荣楼计划
・所在地 愛知県名古屋市中区栄三丁目3番1
・階数 ---
・高さ ---
・構造 ---
・敷地面積 ---
・建築面積 ---
・延床面積 ---
・着工 2020年以降 (丸栄ビル解体着手:2018年10月1日)
・竣工 ---
・建築主 ---
・設計 ---
・施工 ---
・最寄駅 栄、栄町
(2019年3月6日撮影)
■今後の再開発の流れ
・2017~2020年:丸栄解体、新商業施設建設
・2020年:新商業施設開業(※暫定施設)、栄町ビル・ニューサカエビル解体
・2020年以降:丸栄跡地(新商業施設は解体)、栄町ビル、ニューサカエビル一体再開発
北東側から見た解体が始まった丸栄ビルの様子です。

南西側から見た解体が始まった丸栄ビルの様子です。
解体工事用の仮囲いで覆われています。

建物外壁部分に拡大してみると、かなり老朽化が進んでいることがわかります。
竣工は1953年で戦後わずか8年後に完成しています。
設計は、日本を代表するモダニズム建築家の「村野藤吾氏」の手によって行われ、1953年に日本建築学会賞も受賞している建築物です。

整理番号B-0549-03
2020年をめどに丸栄は新たな商業施設をオープンさせ、興和グループが周辺に持つ他のビル2棟(栄町ビル、ニューサカエビル等)も、2020年までに取り壊す方針とのことで、再開発は2段階で行い、周辺のビル跡地を含む将来の本格開発は、事業費が2,000億円規模の巨大プロジェクトとなります。
今回はそんな丸栄・栄町ビル・ニューサカエビル再開発計画の丸栄部分が解体され始めましたのでそちらをまとめます。
◆参考資料、引用元
朝日新聞 閉店した丸栄、解体始まる 建築学会作品賞の本館
中日経済新聞 丸栄ビル、解体完了が遅延へ
丸栄閉店、20年めど新施設 興和2千億円かけ栄再開発
清水建設 丸栄百貨店
◆過去の記事
→2017年10月10日投稿 丸栄・栄町ビル・ニューサカエビル再開発計画
→2019年3月4日投稿 丸栄・栄町ビル・ニューサカエビル再開発計画 (解体・建て替え前の丸栄の様子)

■概要
・名称 丸栄・栄町ビル・ニューサカエビル再開発計画
・計画名 丸栄・栄町ビル・ニューサカエビル再開発計画
・name Maruei, Sakaemachi Building, New Sakae Building Redevelopment plan
・中文名 丸荣・荣町楼・新荣楼计划
・所在地 愛知県名古屋市中区栄三丁目3番1
・階数 ---
・高さ ---
・構造 ---
・敷地面積 ---
・建築面積 ---
・延床面積 ---
・着工 2020年以降 (丸栄ビル解体着手:2018年10月1日)
・竣工 ---
・建築主 ---
・設計 ---
・施工 ---
・最寄駅 栄、栄町
(2019年3月6日撮影)
■今後の再開発の流れ
・2017~2020年:丸栄解体、新商業施設建設
・2020年:新商業施設開業(※暫定施設)、栄町ビル・ニューサカエビル解体
・2020年以降:丸栄跡地(新商業施設は解体)、栄町ビル、ニューサカエビル一体再開発
北東側から見た解体が始まった丸栄ビルの様子です。

南西側から見た解体が始まった丸栄ビルの様子です。
解体工事用の仮囲いで覆われています。

建物外壁部分に拡大してみると、かなり老朽化が進んでいることがわかります。
竣工は1953年で戦後わずか8年後に完成しています。
設計は、日本を代表するモダニズム建築家の「村野藤吾氏」の手によって行われ、1953年に日本建築学会賞も受賞している建築物です。

整理番号B-0549-03
スポンサーサイト